GAME✴︎RAS(ゲーメラス)という記憶

2019.04.12

その昔、川越にゲーメラスというゲームセンターがあったことを知っているでしょうか?
その昔、高崎にゲーメラスというゲームセンターがあったことを知っているでしょうか?
かれこれ20年も前の話です。

そもそも当時のシグマが「ロードサイド施設」に挑戦すること自体が社内外を驚かせる企画であった。
「カジノ風施設とメダルゲーム」でその名を轟かせ、それが伝統となっていた会社はその枠を広げるつもりだったのだろうがプロジェクトはその思惑とは違い破壊の方向へ進んでしまい当時の経営陣を震撼させた。
今思うと、アサインしたメンバーが良かったのか悪かったのか。。。とにかくシグマは新しい考え方が生まれ始めていた。

平成5年07月14日(1993年)
奇しくもこの日は私の28回目の誕生日であった。この日にシグマが運営するロードサイド店舗「ゲーメラス」が世に解き放たれた。これは新しいゲーセンができたのではなく「新しい機械ゲームの遊び方があるプロジェクトによって市場へ提起された」ということであった。

まず、完成したのは「ゲーメラス川越店」である。国道16号沿いの「新宿町三丁目交差点」の脇である。
現在は「バイカーズステーションソックス川越店」として当時の建物がそのまま利用されている。

 

 

 

これは「プレオープン」の招待状である。
近隣の方や開設に協力いただいたたくさんの企業の方々、ライバル企業様へ参加を募った。

 

 

入り口を入ると自動ドアが開くたびにお客様をグリーティングするオブジェが「バァオ〜〜〜ン」と爆音でバルーンを吹き上げお出迎いする。そのグリーティングマシンの胴体部分にはアヒルが顔を出しくるくる回る。
その隣にはタイル張りの土台のせられた少し古めのTV。その上にはなぜか花が刺さっている。
これらのディティールを理解することは今だにできない。

それまで深めの絨毯が特徴であったシグマ店舗の床はコンクリートむき出しの仕様となりスタッフのシューズもスニーカーへと変わっていった。ユニフォームはルーズなスタイルで動きやすく、自宅で洗濯できる形式へ変わっていった。襟もなければ蝶ネクタイもない。

 

 

さて、気になるゲームメダルの貸し出し価格は

10枚 : 300円・ 17枚 : 500円・ 35枚 :1,000円
70枚 :2,000円・ 105枚 :3,000円・ 175枚 :5,000円

まぁ、当時の相場である。

その3年後もう一つのゲーメラスが完成した。

 

平成8年(日付は不明)1996年
ゲーメラスの2号店は群馬の高崎にその規模を拡大し降臨した。
ゲームラス高崎は高崎前橋バイパスと環状線が交差する「緑町交差点」近くに昔「長崎屋」があったがその敷地内に店舗を構えていた。

ゲームラス高崎の画像は持ち合わせていないのでWEB上にあるこちらを参照ください。
店舗デザイン・空間デザイナーの作品アーカイブ

店内中央にあるカウンターは円形で全フロアが見渡せる仕様でその上部には「ブルー&レッドの巨大脳みそオブジェ」が設置されていた。
さらに店内は大型の近未来型オブジェが設置されこの施設がなんであるかはしばらく見渡さなければわからない作りになっていた。

当時のメダルゲームの稼ぎ頭の「ダービーマーク4」もその原型がわからないほど改造されステーションを増設するためまさかの「2こ1」をやり遂げていた。

ちなみに当時の「ダービーマーク4」のカタログがこれ

 

ちょっと、価格見てびっくりです。
これを使ってフロアの奥にこんな感じのダービーコーナーを再現しました。
外部リンクです:ダービーコーナー

 

さて、上図は「動くファイナルラップ」の前にスタッフが集まり記念写真を撮影した写真です。
ユニフォームは川越と同じものですが左前のスタッフが着ているのは「海外製の消防服」です。
なぜ当時これを着ているのかはあまり深く考えなかったですがとにかく重くて暑くて。。。という記憶です。

ちなにみ後ろに写っているファイナルラップはSD(スタンダード)で1台2席の使用ですがそれが横に4台並んでおり総席数8席で競える仕様になっています。さらには、その4台がそれぞれ分割したモーションベースに乗っており画像とリンクしていない動きをするので当時は「Fラップ酔い」のプレイヤーが続出していました。

スタッフは「ローラーブレード」をはき300坪のフロアを駆け巡って従事し、「チャレンジシステム」としてドライブゲームを使ってお客様と本気で競うサービスを提供していました。これは、ビリヤードでいう店員さんが相手してくれるのと同じサービスでした。ただし、毎日毎日やっているのでどんどんスタッフの腕は上達しそれをめがけてあちらこちらからNewチャレンジャーがこのお店に集まり始めたことを記憶しています。

特にゲーメラス高崎は個性的なスタッフが揃ったこともあり「シグマの原型」はほぼ見かけ上からは消えその運営者すら謎の存在しでした。

さて、ゲームセンターの市場は下記の通りで2007年のピークに向けてまっしぐらの時代でした。

さて、このようにして「ゲームファンタジア」一色だったシグマのアミューズメント施設企画はいろんな「遊びゴコロ」で進化を始めました。

当時はロンゴロンゴという業態企画も走っておりました。

 

 

 

で、その中にこんなくだりがある。

 

当時のシグマはやっぱりすごいと思う。
「遊びのマーチャンダイジング」っていうキーワードがいいね。

 

大型ゲーム場の繁栄の基盤が、単体のゲーム機のヒットに支えられているという極めて脆弱なものであると言わざるを得ないのです。言い換えれば、現状のゲーム場はマーチャンダイジングの発想が欠如しているのではないでしょうか?

 

この文書いいよね。。。
このくだりは現代でもそのまま使える。
要するにシグマはこんなことを1日中考えていた会社だったんだな。
で、世に生まれたのが「メダルゲームシステム」だったり「ゲーム機」だったり、「AM企画店舗」だったり

 

さて、ゲーメラスを回想しながら株式会社シグマの遺伝子というか文化を紹介させていただきました。
当時、こんなにSCができるとも思わなかったし、世界がこんなに近くなることも想像できなかった。
その中で日本では特別だった「カジノ・ラスベガス」はほぼ消費されレジャーの一つとなってしまった。

で、それとは別に新しい技術が新しい「驚き・エンタメ」を創造した。
奇しくも2007年のゲームセンターの市場規模は7,000億円を突破したのち「iPhone」が発売された。
関係の有無はわからないがそこからゲームセンターの市場規模は2,000億円が消失した。

 

そして現代において私は中国でクレーンゲーム 店舗やIPを利用したビジネスのプロデュースを行っている。
2017年からアジア地区では「クレーンゲーム 店舗乱立」となりいろんな品質の店舗がどんどん増えている。
そして2019年それらはビジネスとして少し整理が始まるように見える。

 

「遊びのマーチャンダイジング」は要するに終わらないのである。

オンラインもオフラインも
ソフトもハードも

「遊びごころで」企画しなければならなのである。

 

考える力は「遊びゴコロDE」ある。